なにやってもハプニング?! とあるBBOYの旅日記

またやってしまった。好奇心が止められない。幾度となく経験した失敗談を綴り、対処法も兼ねて発信していきます。。。

#番外前編: 【初めての海外留学 アメリカ編】まさか自分が、、、

ここからは、個人のエピソードが多めなのでほぼ番外になりそうです、、、

 

以前品川のとあるレストランバーでバーテンダーとして働かせてもらっていたのですが、お酒って奥が深いですよね。

自分はまだペーペーなのでいろいろ知っているわけではないのですが、会社内のコンテスト出させて頂いた時にお酒のベースやバーテンダーとしての知識などを勉強しました。

 

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アメリカから日本に帰国してバーテンダーとして働きたかった理由は、アメリカ滞在中のバーで働かせてもらった時のたくさんの出会いとコミュニケーションがあったからです。

 

最初はそんな単純な目的であったのですが、やっていくうちにどんどんハマっていった感じなんですよね。

 

ハマった理由としては、カクテル作りはどことなくダンスにつながる部分や似ている所があったからです。

 

皆さんご存知の方、知らない方もたくさんいらっしゃると思いますが、カクテルはベースとなるスピリッツウォッカ、ジン、ラム、テキーラは主に4大スピリッツと言われています)と副材料(リキュール 、炭酸飲料、果物等)を合わせて作るドリンクのことです。

 

僕は勝手ながらに、HIPHOP4大要素Breakin, Graffiti, MC, DJ)だったり、ダンスのジャンルだったり、お酒のベース=ダンスのベーシックの動き、副材料=発想やアイデアなどと重ね合わせていました。

 

ダンスの場合、ベースはブレイクダンスで、副材料にはハウスやロックなどの他のジャンルの動きや日常の面白い動きとかをベースに入れてみて、かっこいいシルエットや複雑さなど見せれているかなどを意識しています。

 

カクテルでもそうですが、これとこれはやっぱり合わないよねとかこれとこれ意外と合わせたらいけるねとかってありますよね。(サイゼリアのドリンクバーでいろんな味混ぜて楽しむみたいな感覚)

 

ダンスも同じで、ベースとなるジャンルの味はしっかりと鍛えなくてはならないのはもちろんですが、副材料で個性を出してみたり意外性を第三者に楽しんでもらうため日々発見を怠りません。

 

実際これは、カクテルやダンス以外にも様々なジャンルの事柄でも言えるのかもしれませんが、自分の場合はカクテルにダンスの要素を重ね合わせていました。

 

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そんな僕のお酒にまつわる失敗談です、、、笑

 

【お先真っ暗、、、飲酒運転で絶体絶命】

 

 

 

①日本とアメリカの飲酒運転に対する認識の違い

 

日本では、飲酒運転は絶対ダメですよね?

というのも法律で決まっていて、体から少しでもアルコールが検知されれば即お縄です。

 

アメリカもそうでしょう?と言われれば、そうです!とお答えするのが正しいと思います。

しかし、日本と若干法律が違い、体内の血中アルコール度数が0.08%以下であれば捕まることはありません。

 

それってどれくらい?って思う方もいると思うのですがこれに関しては調べても正確には出てこず、ビール1、2杯程度と言われています。

が、人によってアルコールに強い体質であったり、逆に弱い体質である場合もありビール1杯でも酔う人は酔いますし、全然酔わない人もいますよね。

 

多少の飲酒は許されているのはアメリカは公共機関が潤っていないので車に乗らないと帰れない場所とかあるためです。

 

その代わり捕まると日本より厳しい処罰があります、、、

 

飲み過ぎた時は、車を置いて友人に送ってもらったり、ウーバー を呼んだり、車で寝てから帰ったり様々対処法は存在します。

 

そして、僕の場合、、、

飲酒運転で血中アルコール度が0.16%と2倍

それに加え、未成年飲酒(その当時21歳の誕生日も目前の20歳)

さらに、国際免許証を持っていたにもかかわらず無免許運転扱い、、、

 

アメリカの法律上では軽犯罪の上の、中・重犯罪に当たるものでした。

 

②刑務所で12時間拘束

 

飲酒運転で捕まる前に、その当時働いていた場所で誕生日も近かったことからお酒を頂いていました。

 

自分は結構お酒飲める方なのですが、あるポイント(自分でもわからない基準)を超えると一気に記憶がなくなってしまいます。

帰れる程度だな、と自分では思っていたのですが、車に乗り込んで発車してから意識が朦朧とし始め、気がつくと車通りの少ない空港の前の道路で進行方向を跨いで横に車を止めていました。

 

以前にオーバーヒートで車が故障しフリーウェイで5時間くらい放置された事件があり、そのせいで車にガタが来ていて、マフラーから煙が出ていたので端に寄せる途中で車が止まってしまい動かなくなってしまいました。

 

どうすることもできず、止まっていると巡回中の警察官に見つかって、何とかしのげるかなと警察官に”車が壊れて端に寄せようとして車が止まってしまった” と説明しました。

 

アルコールは飲んでいるのかと聞かれ、さすがに嘘はやばいと思い少しだけ飲んだことを伝えるとそこからアルコール検査が始まりました。

 

内容は、警官が書いた白い線を歩かされたり、手を後ろに組んで仰け反った状態で1001から1010をカウントさせられ、また、1010から1001までカウントさせられました。

 

何かミスがあるとまずいと思って何とかこなしましたが、最終的に息を吹きかけるやつでアウトでした。

今思えば、遊ばれてたんじゃないか、、、笑

 

最初からそれやってくれよと思いながらも手錠をかけられパトカーの中へ、、、

友人に、ヤバイ飲酒運転で捕まったとパトカーの中で手錠をかけられた手でラインを送ると、ごめん明日運動会だから寝るねって来ました。笑

 

そして、しばらくすると海外ドラマでよく見るような場所にいました。

 

ついてすぐに、血中アルコール度を測るために血液を抜かれるのですが、これを拒むとさらに重くなると言われてすんなり受け入れました。

 

それからは、担当の警官に連れられていく途中で指紋を取られたり、靴下を脱いで自分の足の裏を触らせられたり、色々聞かれたりされたのち、畳2畳くらいのスペースに詰め込まれました。

 

すでに先着がいて、席に横たわって寝てる人がいて自分は立ちながら寝ました。

 

その後、2、3回部屋を移動させられて、最終的に結構広めの部屋に4人部屋になりました。

僕を含めて3人はアジア系の人で1人はガッツリホームレスでした。

 

何で捕まったのかだったり、これからどうなるのかとか推測の話をしたり話をしていました。

時計など近くになかったので今何時なのか、いつ出れるのか、このまま日本に返されるのか、などいろんな不安がありました。

 

だいたいお昼くらいになると紙袋一つ渡されてその中には、りんご食パンハム牛乳が入っていて食事が与えられました。

4人部屋から他のアジア人が1人また1人と檻から出されて取り残される度、不安が増して行きました。

 

しばらくすると檻から出され、下を向いてしっかり後ろを着いてこいと言われて奥へ進んでいくとオレンジ色の服を着た囚人の方達がぞろぞろいました、、、

 

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俺もこの中なのかなーと思いながら、進んでいくと窓口みたいなところに立たされて書類を何枚か、没収されていた所持品(タバコは無くなっていた)を受け取り外に出ることができました。

 

説明を受けてもらった書類は何かは全て理解できず、1枚は車の在処だということはわかりました。

 

もっと重い処罰が来ると思っていたので急に外に出されると何をしていいのか、これで終わったのかわからなくてすぐに友人に連絡しました。

もちろんその友人がその後の対策を知るはずもないので、LAに長くいる人達に連絡して相談をしました。

 

連絡を終えてから、まずは無くなった車を撮りに行く所から始めました。

外にはタクシーの運転手や弁護士を紹介するような人たちが何人かいて勧誘を受けました。

 

そこの人に車のある場所まで送ってもらって車が見つかったものの運んだ料金で300ドルくらい持っていかれました。

 

その後その車で走り出してしばらくすると、またフリーウェイで壊れました。

災難に災難が重なって死にたくなりました、、、

 

その後は、まだ学校も残っていたので、当時住んでいた家から通うのは無理だったのでオーナーに事情を説明して学校の寮に住んでいる友人の部屋に空きがあったのでそこに移転することを決めました。

 

と、ここまでが刑務所にて拘束されての出来事になりますが、その後の対応やストーリーは後半へ続く、、、